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内側から見た中華人民共和国史の凄まじさ ~ユン・チアン『ワイルド・スワン』~

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新しくはないけど、昨年読んだなかでもっとも衝撃的だった本。
日本による満州国統治時代から毛沢東の死去までの女三代記、という形式のノンフィクション小説。
中国という国の見方が180度とまではいかなくても120度くらいは変わってしまった。


中国の現代史についての本は何度か読んだことがあったけれど、そこで読んだことはものごとの表層にすぎなかったんだと思い知らされた。
ジム・ロジャーズの『中国の時代』のように全面的に中国(の経済)を礼賛している人はこの本を読んだのだろうか?と思ってしまうほど。
ここに語られているのはたしかに過去の話だ。
でも、ほんの最近の話なのだ。

著者のユン・チアンの祖母、母、そして彼女本人のたどった人生は壮絶の一言に尽きる。
ただ、彼女たちだけ特別苦労したのではない。
あの時代を生きた中国人全員の人生が壮絶だったのだ。

たとえば、こんな場面がある。
50年代当時すでに迷走していたソ連の重工業社会主義と同じ轍を踏まないよう、毛沢東が志向したのは農村からの革命であった。
毛沢東が自らの政策決定力を自画自賛するため、また国力を外に向けて誇示するため、そこで起こったのは偏執狂的で、かつ「公認の」収穫高偽装だった。

役人が気に入るような誇大な増産目標を言わないと、言うまで殴られた。宜賓でも、生産隊のリーダーが後ろ手に縛られて村の広場につるされた。
「一畝で、いくら小麦がとれるか?」
「四百斤です」(約二百キロ。現実的な数字。)
リーダーの身体に棍棒が飛ぶ。
「一畝で、いくら小麦がとれるか?」
「八百斤です」
八百斤などとても無理なのだが、それでもまだ足りない。かわいそうに、この男は「一万斤とれます」と言うまでつるされて殴られつづけるのだ。達成不可能な約束を頑として拒み、つるされたまま死ぬ者もいた。役人が満足する数字にたどりつく前に命がつきる者もいた。


念のため、この場面は物語のハイライトでもなんでもなく、これに似た信じられないような場面が連続して一つの物語を形成している。
いまでこそ比較的まともに見える中国の過去は大部分、まさしく混乱と暴力こそが常態だったのだ。

しかし、もっとも衝撃的なことは、全世界にあれだけ多くの中国人が存在していながら『ワイルド・スワン』のような本がほかにないということだ。
『ワイルド・スワン』は中国国内ではいまだに発禁だし、国内で毛沢東について否定的な言説を述べることはいまでも命にかかわるほど危険なのだろう。
私の通っていた中国語教室で、この本を読んだことがあるという生徒はほかに一人もいなかった。
かろうじて、中国人の先生は読んだと言っていた。
でも本についてはあたりさわりのない感想を述べただけだった。

外から見える中国がいかに現実を歪曲しているかということは、若き日の著者のこの叫びに凝縮されているように思える。

不平不満がひとことも出ないときこそ抑圧がいちばんひどいのだということが、どうしてこの外国人にはわからないのだろう?
犠牲者が笑顔を作っているときこそまさに抑圧が頂点に達しているのだということが、どうしてわからないのか。

中国を知るために、避けて通ってはいけない本。








RE;
まるでドタバタコメディのエンディングのような、世界のワンシーンは自分に関係が無い限りにおいては素敵だ。

ぐっドバイ
なかなかいいね。
ヨウもいい感じにおやじだしAERA編集部に転職してみる?

過去エントリー:
日本を代表するおやじギャグ

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