ふたりblog think twice!

考え事と備忘録と発見の集積。

「Suddenly I See」の歌詞がとても良い

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最近聞いて気に入っている歌詞。
KT Tunstallの「Suddenly I See」

日本語訳してみたのでメモ投稿

歌詞原文

彼女の顔は世界の地図よ
そう世界の地図なの。
わかるでしょう、彼女はとても美しい
そう美しい少女なの。

そして、彼女の周りは全て光溢れる銀色のプール
彼女を取り巻く人々はその素晴らしさを知っているわ
あなたは、穏やかな気持ちになるでしょう、
彼女はその手で、あなたを虜にして離さないわ。

突然気づいたの
これが私のなりたいもの
突然わかったのよ、
一体どうしてこんなに心を捕らわれているのかが。

私はその世界を歩いてみたいの
そう、その世界をよ
聞こえるでしょう、彼女のうわさが
そう美しいと。

ブラックとホワイトから生まれたみたいに、彼女は至る所を満たしていく、
聞いたことを思い出すと、懐かしい気持ちになるでしょう
彼女は言葉で、あなたを振り回すのがすきなのよ。

突然気づいたの
これが私のなりたいもの
突然わかったのよ、
一体どうしてこんなに心を捕らわれているのかが。

彼女はなにより大きくて、私を見下ろしている。
雑誌のどこかのページから、彼女の視線を感じるわ。
ああ、彼女は私をタワーみたいにそびえ建つ気分にさせてくれる。
大きなタワーみたいな気分に

彼女には彼女の力があるの
与える力も
わかる力もね。

突然気づいたの
これが私のなりたいもの
突然わかったのよ、
一体どうしてこんなに心を捕らわれているのかが。



いろいろ意味深な歌詞のようだが、和訳では伝えられないことが色々ありそうだ、
black & whiteの訳も、She got the power to beの訳も難しい・・・。
ネイティブにはどのように聞こえるのだろうか。

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地下10メートルで少女マンがについて考える経験は、今後の人生の転機となりえるか

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打ち合わせのため代々木に立ち寄り、汐留方面へ、
米沢 嘉博の『戦後少女マンガ史』(amazon)を電車の中で読みふける。

カバーなしでは少し恥ずかしい本だが、まあそこは気にしない、気にしてはいけない。
周囲の視線に耐え、戦後の女性・少女達の意識の変化と表現の変化について考えることは20代の男性にとって非常に大切なイニシエーションに違いない。

・・・
大衆小説、アメリカンホームドラマ、スポ魂、
東洋の魔女、グループサウンズ、宝塚、キャリアウーマン・・・
時代を象徴するアイコンが、文庫本の中で
女性意識の歴史上に慎重に配置されていく。



この本の中でとても気になる一文に出会ったので、
メモがわりに感想、レビューを書いておくことにする。

少女マンガのスタイルの普遍性に関して
米沢氏はこう答える。

少女達にとって真に少女マンガの夢へと誘うのは、
プリンセス、少女スターという言葉であり、流れるような長い髪、輝く瞳、
フリルのドレス、フランス風家具のディテールであった。
それらの内包する「少女」の夢に酔うことで
「少女」であろうとする想いこそ、読者なのだ。

本文引用

まず驚くべきは、
少女マンガの読者を「少女であろうとする想い」と表現していることだ。
それは「少女」ではなく「少女であろうとする想い」、
少女マンガの読者に年齢や性別は関係などないというのだ。

ああ、私は少女であったことなど1ミリ秒もないが、
これで少女マンガを好んで読む理由がわかった気がする。

そしてこう続く。
恋のときめきも愛のドラマも、不幸な少女も全て、
その想いを味わうための「少女らしさ」のひとつにすぎない。
-----少女のみが味わえる甘い夢とは、
つまるところ「少女」であろうとする意志が
選びとった「物あるいは言葉」なのかもしれない

本文引用

今度は「ストーリー」をサブ(らしさのひとつ)に追いやって、
少女の本質とはそうあらんとする意志によって生まれるのであり、
少女達の夢とはその意志によって選ばれた「オブジェクト」そのものかもしれないとこう言うのだ。

僕はこの文章を地下鉄の中で読んで、悟りを開きそうになった。

付随するストーリーそのものはシーンを作らず、
そうありたいと願う人たちよって選ばれた物や言葉が
シーンを作るということに、妙に納得したからだ。

少女マンガにとって必要なのは
物語ではない、デティールなのだ。
これはエンターテインメントのある一面の真実なのだろう、

登場人物に求められることは、
過酷な、または輝く物語の渦の中で、
「どのような顔でどのような台詞を話すか、
 そのときどんな格好で、どんな場所にいるのか」
こういった立ち居振る舞いなのだろう、

これは現実においても同じなのではないだろうか。

クリエイティビティについて
この系列に異論はないけど、これってクリエイティビティの過程そのものだよね?
クリエイティビティなんて大層な言葉を使うと大変だけど、
つまり人間が考えて、人に物を伝える過程は全てこういうことだと思うよ。

ゼロからものごとをつくりだすことが創造なのではなく、その人がインプットして、
選別して、編成して、アウトプットすることなのだと気づいたのは比較的最近。
そう考えると、いわゆる「クリエイティブ」にかぎらずあらゆる仕事に共通しているはず。
そうね、本質的な「クリエイティブ」なんてのは言葉の問題であって、
自分のあらゆる行為が全て「クリエイティブ」であることを自覚していることが、
大切だね、という話につながると思うんだ。どうかな?

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クリエイティビティについて

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ナオコです。
前エントリーの近ごろ知識デザインという言葉をよく耳にするについて。

残念ながら私には「知識デザイン」というボキャブラリーはなかったよ。
ググってみた感じではとくに広告業界の人に人気のある本みたいだね。

 1・data step-事実の収集
 2・information step-編集による情報化
 3・intelligence step-組み合わせによる知識化

この系列に異論はないけど、これってクリエイティビティの過程そのものだよね?
ゼロからものごとをつくりだすことが創造なのではなく、その人がインプットして、選別して、編成して、アウトプットすることなのだと気づいたのは比較的最近。
そう考えると、いわゆる「クリエイティブ」にかぎらずあらゆる仕事に共通しているはず。

このことをコンサルタントの
秋山ゆかりさんは著書のなかで「掛け合わせの術」と言っていたような・・・。




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近ごろ知識デザインという言葉をよく耳にする

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ここ3ヶ月ぐらいの話。
本も出ているので読まなくてはと思いながらまだ読んでいない。



知識デザイン企業―ART COMPANY (単行本) 紺野 登著



企画という仕事はつまるところ「知識デザイン」なのだろう。
知識体系を整理・分類して一見して全ての人が誤解なく理解できるようにする
それがデザインするという行為なんだろう。

ところで、
「知識」をデザインするためには、確実に通過するステップがある。
これはもう、無意識だろうと何だろうと全人類が絶対に通過しているはずだ。
「ヘイ、そんなことはしていないさ」という人は、ただ自覚的でないだけだ、
もしくは僕とは違う意味で「事実(data)」「情報(information)」「知識(intelligence)」
という言葉を使っているんだろう。

それは
1・data step-事実の収集
2・information step-編集による情報化
3・intelligence step-組み合わせによる知識化

という3つのステップだ。

1つ目は言うまでもない、事実を収集しそれを並べる。
できる限りたくさんの事実を集めたい、関連することなら何でも集めてみよう。
新幹線の開発はいかになされたか、その技術の革新点は?
路線はどうやって決定した?素材は?開発メーカーは?
事故は起きたことがあるか?故障率は?寿命は?運転の難易度は?デザイナは?・・・
おそらくいくらでも出てくるので、時間の許す限り事実を収集したい。

2つ目は集まった事実をそぎ落とし、伝えるべきことを決定するということだ。
新幹線に乗りたい人に伝えるべきことは、
新幹線の技術的なブレイクスルーではなく料金と時間だ。
デザインに興味ある人には料金体系よりも、工学的な空気抵抗とデザインの関係を。
「誰に」伝えるのかを決定することで、事実は有益な「情報」群となる。

3つ目はそうして生まれた「情報」群をさまざまなものと組み合わせて
価値を見えやすくするということだ。
「料金と時間」を伝えるなら、その利便性を飛行機や車と比較してもいいだろうし、
時刻表の信頼性からビジネスの信頼性を説いてもいいだろう。
「デザイン」を伝えるなら流体力学の歴史を紐解いて、
アールヌーボー時代の流線型理論から新幹線のフォルムを解き明かしてもいいだろう。
つまり「伝えたい情報」を他の情報と組み合わせて「価値ある知識」とするということだ。
このとき組み合わせる情報の「意外性」が人の興味を引く為の工夫となる、

誰も思いつかないような、以外な接点を発見して、知識を設計することこそ、
「知識デザイン」の肝なのだろう。

と、
上記の本のタイトルから妄想をたくましくしてみたが、
WEBで書評を見ているとどうやら、こんなことはあまり関係ない内容のようだ。
でももう書いてしまった、どうしよう。
まあいいや、とりあえず読んでみます。

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勝率の高い勝負を重ねていく ~丸の内キャリア塾「専門性を高める」~

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きのうは仕事のあと、大手町の日経新聞社でセミナーがありました。
テーマは「専門性を高める」で、パネリストはこちらの方々。

会計士兼アナリスト 勝間和代さん
シリコンバレー在住の社長 渡辺千賀さん
ヘッドハンター社長 岡島悦子さん

これまで勝間さんのセミナーへの参加は5回目くらい、渡辺さんと岡島さんは1回ずつ。
いずれも起業家で主役級の3人が、お茶のみ話みたいにくだけたトークで仕事について語ってくれたので、とても満足度の高いセミナーでした。
とりわけ私にとって大事だと思ったことを忘れないようにまとめておきます。

●「勝率の高い勝負を重ねていく」
 →これはキャリアアップの鉄則。
  「勝てるな」と思ったら勝負に出る。
  いざというときに確実に勝つための鍛錬を普段から積んでおく。

●「チャンスをもらったら結果を出す」
 →ほんとあたりまえのことなんだけど、いいポストをもらえたらそのままぬるま湯に浸かってしまうのが人間の性。
  チャンスを与えられたら、自分ががんばるだけではなく、周囲の人にもがんばってもらうしくみ(バリューチェーン)をつくることが隠れたカギ。(=私の苦手分野!)

興味深かったのは、3人ともできるビジネスパーソンだけあって、人間関係を円滑にするために会社員時代もさまざまな工夫をしていたということ。
たとえばキーパーソンフローチャートというものをつくって、重要な決定事項をどういう順番で社内の人に伝えていくか細心の注意を払っていたようです。
あとは働いていた会社の悪口は絶対に言わないとか、不愉快な質問にはユーモアで対処するとか。
なるほど~。

あと、気になったのは、勝間さんがトレーダーとして働いていたとき、ルーティンワークのくり返しに「気が狂いそうに」なったと言っていたこと。
たしかにトレーダーの仕事はルーティンが大半を占めているけど、私はそのことを苦にしたことはないなぁ。
もちろんセルサイド(銀行や証券会社)のトレーダーとバイサイド(運用会社など)のトレーダーでは仕事量や拘束度がまったくちがうだろうけど、ルーティンだからいやだというのはない。
ルーティン以外のことをやるなと言われているわけじゃないし、仕事そのものもまだまだ工夫の余地があるしね。
少なくともアナリストよりは向いてるような気がする。
アナリストはペシミスティックな人間にはまったく不向きな仕事だから。

丸の内キャリア塾(恥ずかしい名前・・・しかも女性限定)はたいてい無料でセミナーをするのだけど、今回は受講料が3000円でした。
無料ではないというだけで客層はかなり変わる感じがしたなあ。
会社帰りという感じの人が多くて、小さな会社で働く私としては、ここにいるような仕事してる人たちともっと友達になれたらなぁと思いました。




共著ですが、勝間さんの職場人間関係最適化についての考え方をうかがうことができます。



渡辺さんのブログをひとまとめにしたもの。
シリコンバレーで仕事する人の日常はいろいろな意味で日本とかけ離れています。

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RE: 言葉じremix

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そういうのをおやじギャグっていうんだよ?

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言葉じremix

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瀬戸内ジャクソン
  &
釈尊ファイブ

1970年代初めにおける
「ポップ・ミュージックの最も大きな現象のひとつ」
との評価もある。
また、リード・ヴォーカルである
瀬戸内・ジャクソンの歌手としての
最初のキャリアとしての面も注目される。
1968年から1975年までモータウンと、
1975年から1990年の解散まではエピック/CBSレコード
(CBSとの契約時に「釈尊ズ」と改名) と
レコード契約を結ぶ。

現在では、釈尊ファイブは「法衣・バンド」
(アイドル的な人気をもつ仏教のバンド。
バックストリート・法衣ズ、法衣ズオンザロックなど
が典型例とされる) の最初期の例のひとつと指摘されている。

代表曲は「帰依(かえ)って欲しいの 」




アロハにほへと

日系ハワイ移民の歌で、手習い歌の一つ。
七五調四句の今様(いまよう)形式になっている。
手習い歌として最も著名なものであり、
近代に至るまで長く使われたが、
歌詞があまりにも長いため歌えるものが減り、
現在では「アロハオエー(ry」と
後半を省略するのが普通とされている。




老若ニャンコ

ことわざ、
「年寄りも若者も猫も」の意

TOEICスコア発表!!

おめでとう、すごい!
でも、ケーキは週末まで駄目です。
平日ケーキ禁止令はまだ撤廃されていません。

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TOEICスコア発表!!

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3年連続、3月のTOEICを受検しました。

2006年の結果

 650点
  ( LISTENING 320, READING 330)
 
2007年の結果

 650点
  ( LISTENING 305, READING 345)

ちなみに2007年の受検にあたってはとくに勉強しませんでした。
正確な試験ですね・・・。

そして今回。

今回!!



2008年の結果

 755点
 ( LISTENING 360, READING 395)

でした!

これはうれしいです。
にんまりしてしまいます。

今回の勉強は、95%「iknow!」に頼りました。
iknow!は、英単語とリスニングを同時に学べるすばらしいツールで、しかもタダ!ロハ(死語?)!で提供されています。
これを活用せずに別の教材を使うなんて、

絶・対・損。

PCでも携帯でも利用可能。
電車のなかでもネットゲームしてると見せかけてじつはお勉強してたわけです。

で、iknow!以外にやったことといえば、『新TOEICテスト 直前の技術スコアが上がりやすい順に学ぶ』といういかにも不真面目な人のためにあるテキストです。
(しかも全面クリアできなかったし・・・。)

何はともあれ、きょうは自分でお祝いしたい気分です。
ヨウはピエール・エルメのケーキ買ってきてね。

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仕事の合間に 2

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相変わらず気に入った言葉を壁紙にしている。
クリックで拡大。(1280×1040)




「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」の
ロマンチックな聞き間違い
「ああ言えば for you forever are you」

なにを言っても君のためで、
僕の全ては永遠にあなたのものだ、
とかいう意味なんだろうきっと。英語としてはおかしいけれど・・・。


>お父さん、金魚飼ってあげるから
>金魚飼ってあげるから、な?

これはステキな台詞だね、
どんなストーリーが隠されてるのか気になって仕方ない、
電話の向こうで子どもはなにを言っていたんだろう。

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お父さん、金魚飼ってあげるから

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お父さん、金魚飼ってあげるから
金魚飼ってあげるから、な?


きのう会社からの帰り、駅で男性が困ったように電話に向かって喋っていたことば。
犬でもなく、うさぎでもなく、金魚。

どんなかわいい約束だったんだろう?
いやぁ、かわいい。
イントネーションからして「買ってあげる」ではなく「飼ってあげる」だった。
そこもなんだかいい。
一緒に世話をしようと言っているみたいで。

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個人の占有空間としての車

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車に関係して思い出した話。

ホンダは1980年代の後半に、乗用車にカップフォルダーを導入した。
乗用車にカップフォルダーをつけるコストは非常に安価なものではあるのだが、
このありそうもなかったパーツは、ホンダの販売成績に驚異的な効果をもたら した。
一度カップフォルダーの便利さに馴れた人にとって、これは不可欠な装置となり、
他の自動車メーカーもカップフォルダーを導入せざるをえなくなった。

もちろんこの「ホンダだけの興奮する特性」も、
あっと言う間に自動車の「あって当たり前」特性になってしまった。
生産管理講座 - 品質管理

「品質」の話をする際よく例に挙げられる話で、具体的な分類は、
顧客の満足度や購買意欲に与える影響度で以下のようになる

「魅力的品質」>「一元的品質」>「当たり前品質」

これはまあ言われてみれば当然の話なんだけれど、
今、まさに新しく投入された技術というものについて
この考え方でもう一度見直して見ることが有用な場合がある。

先日のエントリにある技術

「走れば走るほど空気がきれいになる車」

というのは現状、まだ求められている品質ではない。
エコカーですら贅沢品の範疇にあり、
「魅力的な品質」というよりは「特権的な品質」と捉えられているのが現状だ。
参考:車の人気ランキング
それはひょっとしたら「魅力的な品質」にはなれないかもしれない。

今、「車」に求められる「魅力的な品質」とはなんだろう?
ランキングを見る限りそれは「エコ性能」ではない。

現在求められている車の有用性は、
「個人の空間の拡張」だと思う。
その占有空間を自由に移動でき(しかも高速で!)
そこで自由な個人活動を行うことができる(だからBOXタイプが人気)
デザインが求められることは昔から変わらない。

移動手段として車を捉えるなら、
なるほど電車やバスは代替手段となりえるだろうが、
「移動可能な個人の空間」として捉えると、それはおそらく不可能だ。
私たちの意識の中で「車」は「家」と近いフェーズにあり、
環境を圧迫したり、事故の原因となるからといって
他の手段に変更することは困難なのではないだろうか。

根本的に求められていることの代替手段が生まれない限り、
「車」という仕組の中で環境汚染や事故を減らす仕組を考えるしかない。

極論だが、「土地を所有する事がステータスである」という意識の社会においては
車を単なる移動手段と捉えることなどできないのではないだろうか。

追伸
デオキシリボ核酸(DNA)について調べる為
検索をしようとしたとする、

しかし、
「デオキシリボ格さん」とタイプミスをしていた
最近の検索エンジンはタイプミスに対して
もしかして:○○?
という具合に親切にサジェスチョンしてくれる。
当然「もしかして:デオキシリボ核酸」と返すと思うだろう。


しかし、とんでもないことが起こるようだ、
是非試してみて欲しい↓
デオキシリボ格さんをGoogleで検索

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トヨタの福音 「走れば走るほど空気がきれいになる車」

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ナオコです。
前から疑問に思っていることを吐露してみようと思います。

温暖化ガスの排出を抑えないといけないのに、自動車が日本の主要産業だというのは一つのジレンマなのでは?

これだけ環境問題が持ち上がっているのに、「自家用車をやめましょう」という話はついぞ聞かない。
国内自動車販売台数が伸び悩み、日本経済の屋台骨を支える自動車メーカーの業績に影を落としているからかもしれない。
そこで福音のようにいつも私の脳裏に浮かぶことば、それが、トヨタの渡辺社長の「走れば走るほど空気がきれいになる車を開発しろ」。
ちょうど一年前、日経新聞の一面にこんな記事が出た。


2007年4月2日付の日本経済新聞の特集「地球が迫る新たな競争」

次に求められるのは空気を「汚さない」だけでなく「きれいにする」エンジン。二五年に向けて日本の技術開発の方針を検討する政府のイノベーション25戦略会議は、二月の中間報告に光合成カー構想を盛り込んだ。植物の光合成を再現し、CO2をエネルギー源に走る車だ。一七年までに人工光合成を技術的に実現する目標を掲げた。

ただ「植物がなぜ光合成するのかということ自体、長い時間をかけた進化の結果であり、神のみぞ知るなぞだ」(ホンダ幹部)。政府の中間報告も「夢のあるもの」と表現する。「究極のエンジン」へひた走る企業を政府がどこまで後押しできるか、本気さが問われる。


ところで私は、自動車(とりわけ自家用車)は斜陽産業というか、斜陽するべき(?)産業だと思っている。
何十年か経てば、現代の喫煙者が居場所を失うように、自家用車を乗り回すことは反社会的行為に近いものとみなされるのではないだろうか?
この「走れば走るほど空気がきれいになる車」自体、いまのところ実現のめどは立っていないと思われる。
それが実現するとすれば、自動車にまつわる環境問題を排気ガスに限定してしまえばそれで一挙に解決するかもしれないけど、自動車の車体そのものも資源であることは忘れてはいけない。
一家で何台も所有する自動車のために日々渋滞というエネルギー非効率が起き、スクラップした車を資源化して再生することにも膨大なエネルギーが使われる。

自動車産業が衰退するとすれば日本経済に少なからぬ打撃を与えるだろう。
それにもかかわらず、自動車メーカーの多くは、柱が一つしかない。
自動車事業が倒れれば会社そのものが倒れるしくみになっている。

新興国で自動車需要があるとは言うけれど、あらゆる家庭が自動車に乗っているような世界が豊かな未来であるとは思えないんだけどなぁ。

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感じたわけを、考えろ

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広告や営業コンサルの仕事をしているとき
心がけていることがある。

それは「全ての物事には理由がある。」ということ。

例えば紙の広告なら

書体のチョイス、大きさ、
紙の厚さ、色
インクの種類、
印刷の種類、
メインカラーチョイス、
色彩設計、
レイアウトのバランス、
メッセージの順序、量
メインビジュアル
設置場所
設置枚数
設置期間
サイズ

これらの全てに対して明確な理由がある。

「考えるな、感じろ」
に近いニュアンスの言葉を
クリエイタの方々から聞くことがあるが、

それが許されるのは一番初めのステップだけだ。
思いついたら、その後は感じたことをロジックに落とし込み、
共有する為の整理された道筋を創る作業が待っている。

そこは
なぜその表現なのか?
その表現は誰に届くのか?
ていうか目を引くのか?
引く理由はなにか?
と言い訳を用意していく
「感じたわけを、考えろ」
の世界だ。
(ここでもう一度ロジカルになってしまった表現を
 感覚によって精査できるか否かが表現の質に表れるが。)

しかしこれは日常のあらゆる行為にも
当てはまることだと信じている。

今、むやみに忙しいのも
「年度末だから」という理由があるから
しようがないのだ、きっと。

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