考え事と備忘録と発見の集積。

個人の占有空間としての車

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車に関係して思い出した話。

ホンダは1980年代の後半に、乗用車にカップフォルダーを導入した。
乗用車にカップフォルダーをつけるコストは非常に安価なものではあるのだが、
このありそうもなかったパーツは、ホンダの販売成績に驚異的な効果をもたら した。
一度カップフォルダーの便利さに馴れた人にとって、これは不可欠な装置となり、
他の自動車メーカーもカップフォルダーを導入せざるをえなくなった。

もちろんこの「ホンダだけの興奮する特性」も、
あっと言う間に自動車の「あって当たり前」特性になってしまった。
生産管理講座 - 品質管理

「品質」の話をする際よく例に挙げられる話で、具体的な分類は、
顧客の満足度や購買意欲に与える影響度で以下のようになる

「魅力的品質」>「一元的品質」>「当たり前品質」

これはまあ言われてみれば当然の話なんだけれど、
今、まさに新しく投入された技術というものについて
この考え方でもう一度見直して見ることが有用な場合がある。

先日のエントリにある技術

「走れば走るほど空気がきれいになる車」

というのは現状、まだ求められている品質ではない。
エコカーですら贅沢品の範疇にあり、
「魅力的な品質」というよりは「特権的な品質」と捉えられているのが現状だ。
参考:車の人気ランキング
それはひょっとしたら「魅力的な品質」にはなれないかもしれない。

今、「車」に求められる「魅力的な品質」とはなんだろう?
ランキングを見る限りそれは「エコ性能」ではない。

現在求められている車の有用性は、
「個人の空間の拡張」だと思う。
その占有空間を自由に移動でき(しかも高速で!)
そこで自由な個人活動を行うことができる(だからBOXタイプが人気)
デザインが求められることは昔から変わらない。

移動手段として車を捉えるなら、
なるほど電車やバスは代替手段となりえるだろうが、
「移動可能な個人の空間」として捉えると、それはおそらく不可能だ。
私たちの意識の中で「車」は「家」と近いフェーズにあり、
環境を圧迫したり、事故の原因となるからといって
他の手段に変更することは困難なのではないだろうか。

根本的に求められていることの代替手段が生まれない限り、
「車」という仕組の中で環境汚染や事故を減らす仕組を考えるしかない。

極論だが、「土地を所有する事がステータスである」という意識の社会においては
車を単なる移動手段と捉えることなどできないのではないだろうか。

追伸
デオキシリボ核酸(DNA)について調べる為
検索をしようとしたとする、

しかし、
「デオキシリボ格さん」とタイプミスをしていた
最近の検索エンジンはタイプミスに対して
もしかして:○○?
という具合に親切にサジェスチョンしてくれる。
当然「もしかして:デオキシリボ核酸」と返すと思うだろう。


しかし、とんでもないことが起こるようだ、
是非試してみて欲しい↓
デオキシリボ格さんをGoogleで検索

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