ふたりblog think twice!

考え事と備忘録と発見の集積。

言葉じremix

瀬戸内ジャクソン
  &
釈尊ファイブ

1970年代初めにおける
「ポップ・ミュージックの最も大きな現象のひとつ」
との評価もある。
また、リード・ヴォーカルである
瀬戸内・ジャクソンの歌手としての
最初のキャリアとしての面も注目される。
1968年から1975年までモータウンと、
1975年から1990年の解散まではエピック/CBSレコード
(CBSとの契約時に「釈尊ズ」と改名) と
レコード契約を結ぶ。

現在では、釈尊ファイブは「法衣・バンド」
(アイドル的な人気をもつ仏教のバンド。
バックストリート・法衣ズ、法衣ズオンザロックなど
が典型例とされる) の最初期の例のひとつと指摘されている。

代表曲は「帰依(かえ)って欲しいの 」




アロハにほへと

日系ハワイ移民の歌で、手習い歌の一つ。
七五調四句の今様(いまよう)形式になっている。
手習い歌として最も著名なものであり、
近代に至るまで長く使われたが、
歌詞があまりにも長いため歌えるものが減り、
現在では「アロハオエー(ry」と
後半を省略するのが普通とされている。




老若ニャンコ

ことわざ、
「年寄りも若者も猫も」の意

TOEICスコア発表!!

おめでとう、すごい!
でも、ケーキは週末まで駄目です。
平日ケーキ禁止令はまだ撤廃されていません。

TOEICスコア発表!!

3年連続、3月のTOEICを受検しました。

2006年の結果

 650点
  ( LISTENING 320, READING 330)
 
2007年の結果

 650点
  ( LISTENING 305, READING 345)

ちなみに2007年の受検にあたってはとくに勉強しませんでした。
正確な試験ですね・・・。

そして今回。

今回!!



2008年の結果

 755点
 ( LISTENING 360, READING 395)

でした!

これはうれしいです。
にんまりしてしまいます。

今回の勉強は、95%「iknow!」に頼りました。
iknow!は、英単語とリスニングを同時に学べるすばらしいツールで、しかもタダ!ロハ(死語?)!で提供されています。
これを活用せずに別の教材を使うなんて、

絶・対・損。

PCでも携帯でも利用可能。
電車のなかでもネットゲームしてると見せかけてじつはお勉強してたわけです。

で、iknow!以外にやったことといえば、『新TOEICテスト 直前の技術スコアが上がりやすい順に学ぶ』といういかにも不真面目な人のためにあるテキストです。
(しかも全面クリアできなかったし・・・。)

何はともあれ、きょうは自分でお祝いしたい気分です。
ヨウはピエール・エルメのケーキ買ってきてね。

仕事の合間に 2


相変わらず気に入った言葉を壁紙にしている。
クリックで拡大。(1280×1040)




「ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う」の
ロマンチックな聞き間違い
「ああ言えば for you forever are you」

なにを言っても君のためで、
僕の全ては永遠にあなたのものだ、
とかいう意味なんだろうきっと。英語としてはおかしいけれど・・・。


>お父さん、金魚飼ってあげるから
>金魚飼ってあげるから、な?

これはステキな台詞だね、
どんなストーリーが隠されてるのか気になって仕方ない、
電話の向こうで子どもはなにを言っていたんだろう。

お父さん、金魚飼ってあげるから




お父さん、金魚飼ってあげるから
金魚飼ってあげるから、な?


きのう会社からの帰り、駅で男性が困ったように電話に向かって喋っていたことば。
犬でもなく、うさぎでもなく、金魚。

どんなかわいい約束だったんだろう?
いやぁ、かわいい。
イントネーションからして「買ってあげる」ではなく「飼ってあげる」だった。
そこもなんだかいい。
一緒に世話をしようと言っているみたいで。

個人の占有空間としての車

車に関係して思い出した話。

ホンダは1980年代の後半に、乗用車にカップフォルダーを導入した。
乗用車にカップフォルダーをつけるコストは非常に安価なものではあるのだが、
このありそうもなかったパーツは、ホンダの販売成績に驚異的な効果をもたら した。
一度カップフォルダーの便利さに馴れた人にとって、これは不可欠な装置となり、
他の自動車メーカーもカップフォルダーを導入せざるをえなくなった。

もちろんこの「ホンダだけの興奮する特性」も、
あっと言う間に自動車の「あって当たり前」特性になってしまった。
生産管理講座 - 品質管理

「品質」の話をする際よく例に挙げられる話で、具体的な分類は、
顧客の満足度や購買意欲に与える影響度で以下のようになる

「魅力的品質」>「一元的品質」>「当たり前品質」

これはまあ言われてみれば当然の話なんだけれど、
今、まさに新しく投入された技術というものについて
この考え方でもう一度見直して見ることが有用な場合がある。

先日のエントリにある技術

「走れば走るほど空気がきれいになる車」

というのは現状、まだ求められている品質ではない。
エコカーですら贅沢品の範疇にあり、
「魅力的な品質」というよりは「特権的な品質」と捉えられているのが現状だ。
参考:車の人気ランキング
それはひょっとしたら「魅力的な品質」にはなれないかもしれない。

今、「車」に求められる「魅力的な品質」とはなんだろう?
ランキングを見る限りそれは「エコ性能」ではない。

現在求められている車の有用性は、
「個人の空間の拡張」だと思う。
その占有空間を自由に移動でき(しかも高速で!)
そこで自由な個人活動を行うことができる(だからBOXタイプが人気)
デザインが求められることは昔から変わらない。

移動手段として車を捉えるなら、
なるほど電車やバスは代替手段となりえるだろうが、
「移動可能な個人の空間」として捉えると、それはおそらく不可能だ。
私たちの意識の中で「車」は「家」と近いフェーズにあり、
環境を圧迫したり、事故の原因となるからといって
他の手段に変更することは困難なのではないだろうか。

根本的に求められていることの代替手段が生まれない限り、
「車」という仕組の中で環境汚染や事故を減らす仕組を考えるしかない。

極論だが、「土地を所有する事がステータスである」という意識の社会においては
車を単なる移動手段と捉えることなどできないのではないだろうか。

追伸
デオキシリボ核酸(DNA)について調べる為
検索をしようとしたとする、

しかし、
「デオキシリボ格さん」とタイプミスをしていた
最近の検索エンジンはタイプミスに対して
もしかして:○○?
という具合に親切にサジェスチョンしてくれる。
当然「もしかして:デオキシリボ核酸」と返すと思うだろう。


しかし、とんでもないことが起こるようだ、
是非試してみて欲しい↓
デオキシリボ格さんをGoogleで検索

トヨタの福音 「走れば走るほど空気がきれいになる車」

ナオコです。
前から疑問に思っていることを吐露してみようと思います。

温暖化ガスの排出を抑えないといけないのに、自動車が日本の主要産業だというのは一つのジレンマなのでは?

これだけ環境問題が持ち上がっているのに、「自家用車をやめましょう」という話はついぞ聞かない。
国内自動車販売台数が伸び悩み、日本経済の屋台骨を支える自動車メーカーの業績に影を落としているからかもしれない。
そこで福音のようにいつも私の脳裏に浮かぶことば、それが、トヨタの渡辺社長の「走れば走るほど空気がきれいになる車を開発しろ」。
ちょうど一年前、日経新聞の一面にこんな記事が出た。


2007年4月2日付の日本経済新聞の特集「地球が迫る新たな競争」

次に求められるのは空気を「汚さない」だけでなく「きれいにする」エンジン。二五年に向けて日本の技術開発の方針を検討する政府のイノベーション25戦略会議は、二月の中間報告に光合成カー構想を盛り込んだ。植物の光合成を再現し、CO2をエネルギー源に走る車だ。一七年までに人工光合成を技術的に実現する目標を掲げた。

ただ「植物がなぜ光合成するのかということ自体、長い時間をかけた進化の結果であり、神のみぞ知るなぞだ」(ホンダ幹部)。政府の中間報告も「夢のあるもの」と表現する。「究極のエンジン」へひた走る企業を政府がどこまで後押しできるか、本気さが問われる。


ところで私は、自動車(とりわけ自家用車)は斜陽産業というか、斜陽するべき(?)産業だと思っている。
何十年か経てば、現代の喫煙者が居場所を失うように、自家用車を乗り回すことは反社会的行為に近いものとみなされるのではないだろうか?
この「走れば走るほど空気がきれいになる車」自体、いまのところ実現のめどは立っていないと思われる。
それが実現するとすれば、自動車にまつわる環境問題を排気ガスに限定してしまえばそれで一挙に解決するかもしれないけど、自動車の車体そのものも資源であることは忘れてはいけない。
一家で何台も所有する自動車のために日々渋滞というエネルギー非効率が起き、スクラップした車を資源化して再生することにも膨大なエネルギーが使われる。

自動車産業が衰退するとすれば日本経済に少なからぬ打撃を与えるだろう。
それにもかかわらず、自動車メーカーの多くは、柱が一つしかない。
自動車事業が倒れれば会社そのものが倒れるしくみになっている。

新興国で自動車需要があるとは言うけれど、あらゆる家庭が自動車に乗っているような世界が豊かな未来であるとは思えないんだけどなぁ。

感じたわけを、考えろ

広告や営業コンサルの仕事をしているとき
心がけていることがある。

それは「全ての物事には理由がある。」ということ。

例えば紙の広告なら

書体のチョイス、大きさ、
紙の厚さ、色
インクの種類、
印刷の種類、
メインカラーチョイス、
色彩設計、
レイアウトのバランス、
メッセージの順序、量
メインビジュアル
設置場所
設置枚数
設置期間
サイズ

これらの全てに対して明確な理由がある。

「考えるな、感じろ」
に近いニュアンスの言葉を
クリエイタの方々から聞くことがあるが、

それが許されるのは一番初めのステップだけだ。
思いついたら、その後は感じたことをロジックに落とし込み、
共有する為の整理された道筋を創る作業が待っている。

そこは
なぜその表現なのか?
その表現は誰に届くのか?
ていうか目を引くのか?
引く理由はなにか?
と言い訳を用意していく
「感じたわけを、考えろ」
の世界だ。
(ここでもう一度ロジカルになってしまった表現を
 感覚によって精査できるか否かが表現の質に表れるが。)

しかしこれは日常のあらゆる行為にも
当てはまることだと信じている。

今、むやみに忙しいのも
「年度末だから」という理由があるから
しようがないのだ、きっと。