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捨てながら、一縷の光を見いだす~伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』~

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ナオコです。
きのうヨウに借りて読んだ小説(伊藤たかみ『8月の路上に捨てる』文藝春秋 (2006/8/26))のレビュー。

主人公なんだけどはたから見れば典型的な「だめんず」の敦が、失業してこわれぎみの妻知恵子との離婚に際し て繰り広げる心情風景。
敦の職場の先輩、水城さんの「けむり詰め」のエピソードにこの話のエッセンスが凝縮されている。

「けむり詰めって知ってる?詰め将棋の一種で、こっちががむしゃらに攻めまくんの。
玉を追いつめるのに最初の一手をさすじゃん。あとは、自分の駒をどんどん取られながら 追いつめていく」
「それじゃあ向こうが優勢になっちゃうじゃないですか」
「そう。自分の駒は煙みたいにぽんぽん消えていくんだよ。だけどうまく解いたら、 最後の最後でちゃんと玉を追いつめられるってわけ。駒はほとんどなくしちゃうけど、勝つ。 その代わり、一手でも間違うとあとはゲームオーバーしかないんだよなあ」
「じゃあ、それが俺の人生だとか言うんでしょう」
「違うよ。あたしがそっくりなの。いろんなものをなくしてなくして、 それでも最後は勝つかもって夢見ながらやってんだもん」

人生の過程でいろいろなものを失いながら、ほとんど勝ち目はないんだけど、どこかで一点突破の可能性を信じ て生きている。
もちろん勝つというのはいわゆる「勝ち組」のことではなくて、自分の望む人生のありかたということ。
敦と知恵子のような人はもちろん私自身や私の世代にとても近しい存在で、彼らのメンタリティが痛いほど、目を背けたいほど伝わってくる。

価値観を同じくしていると見えるカップルの、微妙な価値観の違いからくるもつれ。
結婚するのも離婚するもの自分たちだけで完結。
収入が少なくてお金に困っているのに、彼らの親の影はない。
そういうところに同時代性を感じる。

でも、正直芥川賞受賞については「?」、消費財のような他の文学作品に埋もれてしまいそうな小説。

文体は長嶋有の『猛スピードで母は』に似てると思った。

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