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帰納への反論 ~ナシーム・ニコラス・タレブ『ブラック・スワン』~

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ブロガーが大絶賛して昨年売れまくった本です。
私もその流れに乗って読んでみてからだいぶ経ってしまったのですが、それ以前にオリジナルの出版から日本語訳までもかなり遅かったようです。

『ブラック・スワン』目次
【上巻】
プロローグ
第1部 ウンベルト・エーコの反蔵書、あるいは認められたい私たちのやり口
第1章 実証的懐疑主義者への道
第2章 イェフゲニアの黒い白鳥
第3章 投機家と売春婦
第4章 千と一日、あるいはだまされないために
第5章 追認、ああ追認
第6章 講釈の誤り
第7章 希望の控えの間で暮らす
第8章 ジャコモ・カサノヴァの尽きない運――物言わぬ証拠の問題
第9章 お遊びの誤り、またの名をオタクの不確実性
第2部 私たちには先が見えない
第10章 予測のスキャンダル
【下巻】
第11章 鳥のフンを探して
第12章 夢の認識主義社会
第13章 画家のアペレス、あるいは予測が無理ならどうする?
第3部 果ての国に棲む灰色の白鳥
第14章 月並みの国から果ての国、また月並みの国へ
第15章 ベル・カーブ、この壮大な知的サギ
第16章 まぐれの美
第17章 ロックの狂える人、あるいはいけない所にベル型カーブ
第18章 まやかしの不確実性
第4部 おしまい
第19章 半分ずつ、あるいは黒い白鳥に立ち向かうには
エピローグ

わけのわからない目次にくらくらしてしまいますが、タレブ氏の主張を一言でまとめるとすると、投資(とくに職業としての投資分析)における帰納的アプローチの全否定ということになりそうです。
リスクの概念というのは、過去のボラティリティのことですが、過去のデータがいかに未来を裏切るかという実例をこれでもかと挙げまくっています。
彼によれば、従来型のアプローチは「月並みの国」(対義語は「果ての国」)にしか通用しないそうです。
リスクを定量化することはできない!と納得してしまえばしまうほど、私のような職業の人間は無力感にさいなまれるという絶大な効力をもつ本です。

それにしてもこの本の内容というのが、下巻の半分すぎあたりまで従来の(現代ポートフォリオ理論とかの)投資アプローチへの反論で埋め尽くされているので、読み手としては「で、結局どうするのがいいわけ?」という一点が長々と引っかかります。
しかし最後まで読むとしょうもないオチにがっかりするので、まだ読まれていない方々におかれましてはバーベル戦略のあたりで読了とされることをおすすめします。

そんなわけで、私にとってはただでさえもやもやした世界が余計にもやもやしてしまったばかりか、このもやもや感こそ健全なのだという確固としたスタンスで押し切られた感がありますが、タレブ氏の反乱そのものには敬意を示したいと思います。

下巻の中で気に入った一節を・・・。

可能性の低いものに賭けておかないと投資で成功できないということから派生したパッセージですが、口をついて出てくるような感じがとてもよく出ていていいですね。

チャンスや、チャンスみたいに見えるものには片っ端から手を出す。チャンスなんていうものはめったに来ない。思っているより稀なのだ。よい方の黒い白鳥は避けて通れない第一歩なのだ。だから黒い白鳥に自分をさらしておかないといけない。
人生で運のいいことがあっても、それに気づかない人があまりにも多い。大手の出版社(でも、大物の画商でも、映画のプロデューサーでも、やり手の銀行員でも、大風呂敷を広げる人でも)から仕事が舞い込みそうなら、予定なんか全部放り出せ。もう二度と扉は開かないかもしれないのだ。チャンスはその辺の木に生えてくるものじゃないのが、みんなほとんどわかっていないので、私はときどきショックを受ける。
タダで宝くじじゃないもの(賞金は決まっていないから)をありったけ集め、賞金が出始めたら、捨てたりせずに、そういうチャンスに対するエクスポージャーを最大化する。そういうことをするなら、大きな街で暮らしていることが大きな価値を持つ。運のいい出会いができるオッズが高くなるからだ。セレンディピティのまわりでウロウロしてエクスポージャーを高めることができるのである。そういう形での出会いで得られるいい不確実性は、「インターネットの時代なんだから」田舎に住んでいても十分に人とやりとりできる、なんてトンネル化した考え方では見過ごされてしまっている。

本文をよく読んでみると、タレブ氏は現在オプションのトレーダーをしているようです。
タダで宝くじじゃないものとは安く捨て置かれたOTMのオプションのことでしょうか。
実生活での話ならともかく、投資でこれをやる人はたしかに少なそうです。

で、ブラック・スワンとは何か?
はじめのあたりで定義らしきものもあります。
第一に、異常であること。つまり、過去に照らせば、そんなことが起こるかもしれないとはっきり示すものは何もなく、普通に考えられる範囲の外側にあること。
第二に、とても大きな衝撃があること。
そして第三に、異常であるにもかかわらず、私たち人間は、生まれついての性質で、それが起こってから適当な説明をでっち上げて筋道をつけたり、予測が可能だったことにしてしまったりすること。
しかし読了後の私の解釈では要するに、

ブラック・スワンは理論ではない。
理論化できないものの総称である。

という以外になさそうです。

原書では第2版が出るようで、ツイッターでタレブ氏が追加部分を紹介しています
市場のランダム性に魅せられてしまって『ブラック・スワン』では飽き足らない人は、タレブ氏の敬愛するブノワ・マンデルブロ氏の『禁断の市場』がおすすめです。





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